いまなぜ「検定意見撤回」が必要なのか
9月29日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」以後、政府・文科省は教科書会社から訂正申請があれば対応するという趣旨の発言をしています。しかし、「検定意見撤回」はかたくなに拒否しつづけています。では訂正申請が認められれば問題は解決するのか、という問題がいま問われています。結論はそれだけでは問題の解決にはならない、「検定意見撤回」をどうしても実現しなければならない、ということです。
なぜか。第一に、今回の検定意見は沖縄戦の事実を歪曲した間違った検定意見だったということです。そのことは沖縄県民の体験にもとづく数々の証言と研究によって明らかにされてきたことであり、ここではあらためてくわしくふれることはしません。
第二に、検定の経過にも多くの過ちがあります。検定意見の原案は教科書調査官がつくったことはすでに明らかになっています。これまで文科省が一応の建前としてきた原則にも反する検定意見について、検定審議会がなんの審議もせずにそのまま通してしまいました。ある審議会委員は、これだけの検定意見でどうして全部の教科書の記述がこのように揃うのか、教科書会社の過剰反応ではないかと述べたといわれます。そうだとすれば、教科書調査官が審議会に説明した内容は教科書会社に口頭で述べた内容と違っていたのではないかという疑いも出てきます。
したがって第三に、このような内容面でも手続き面でも誤った検定意見は、誤りの責任を明らかにし、明確に撤回しなければ、ふたたび同じ過ちをおかすことになります。責任を明らかにし、二度と過ちを繰り返させないという点で、検定意見撤回は基本的に重要なことです。
第四に、だからこそ、県民大会決議の結論は「検定意見の撤回」であり、大会実行委員会代表は、政府などに対し、「検定意見撤回」を要求しつづけています。この声に私たちも応えなければなりません。
第五に、訂正申請がかりに全面的に認められ、記述の回復ないしはさらに改善された記述が実現するならば、来年度から教科書を使う高校生に、より正確な記述の教科書を手渡すことが出来るという点で、大いに意味のあることです。しかし政府・文科省は申請に対応するとは言っていますが、どこまで記述の回復を認めるのか、まったく不透明です。検定意見が撤回されず、今回の検定意見がそのまま生きつづけている限り、訂正申請に対しても、今回の検定意見にもとづいて教科書調査官や検定審議会が、恣意的に訂正申請の修正を求めてくる可能性が強いといわなければなりません。その意味でも、検定意見の撤回がどうしても必要なのです。